〈動画/文字起こし〉“台湾”から見た日本を考える音とからだの祭典" エンディングリマーク by 齋藤ゆずか

2025年10月4日に円山公園音楽堂で開催したイベント「ippun ippun!!! 2025 “台湾”から見た日本を考える音とからだの祭典"」のエンディングリマークの録画です。(@bani_alsalam に動画をご提供いただきました。この場を借りて感謝申し上げます)。

エンディングのスピーチは齋藤ゆずかさん、サクソフォンは登敬三さん、ピアノは田所大輔さん、ボーカルはEri Liaoさんです。背後に流れている映像は、今年9月23日、台湾東部花蓮県で台風18号のために発生した大雨・洪水のニュース映像です。 2023年10月7日のガザにおける一斉蜂起からちょうど2年、映像と音楽とスピーチの融合したこの「奇跡」のような瞬間がひとりでも多くの方に届くことを願っています。

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(齋藤ゆずかさんによるメッセージのテキスト) 今日の試みは、ひとつの挑戦でした。植民地主義。それを植民地主義という、ととのった四角い文字、学問の言葉だけで語らない。それだけでは足りないはずだと。 とりわけ日本語の植民地主義ということばは、民を地に植え付けると読むことができます。草のように柔らかく力のない民が、何もない荒野に入ってゆくような印象を受けます。 しかし台湾では武装した軍や警察が先住民を囲い込んだし、また多くの日本人が先住民を自分たちと同等の人間だとは考えなかった。先住民には自分たちの名前や、言葉や、歌があった。生きていく上での葛藤も意思もあった。 このイベントのタイトルはippun ippunでした。ippunとはタイヤル族の言葉で日本という意味です。このイベントは日本に生きる、いま日本という場所にいる、わたしたちみんなへの呼び声です。 ここに集まった人でさえ、ほとんどの人は、その声に気づくことはないでしょう。勉強になった、よかった、すてきだったねと言って帰って、寝て、起きて、働いたり勉強したり遊んだりして、そして忘れる。忘れてしまうと思います。だってわたしたちは、ずっと忘れてきたんです。見ないようにしてきたんです。台湾のことも、パレスチナのことも。 台湾の原住民は、日本のあとに台湾を支配した国民党から同化政策をはじめ、様々に差別的な政策を課されました。その根底には、日本が行った暴力があります。言葉や名前、土地を取り上げるという、人間の拠り所を踏みにじる暴力。しかしそれに抵抗した運動を、日本にいるほとんどの人は知りません。台湾の先住民が原住民という名前を勝ち取るまでの道のりをわたしたちは見ていない。原住民が日本の植民地支配の歴史について発言しているのに、わたしたちの耳には入っていない。顔を向けていないからです。 パレスチナのために行動しよう。そう訴えていると、こんな発言に出会います。難しい問題だから関わらないほうが良い。戦争は悪いことだから、どっちもどっちでしょう。自分たちにはできることなんてないよ。 自分たちの無力さを、弱さを強調することば。でもそれは違うとわたしは思います。わたしたちはパレスチナ人に対して、圧倒的な権力者です。 パレスチナ人にとって、国際社会からの関心も、支援も、それがなくては言葉通り生存が危うくなる、それほど必要なものです。遠くの、顔が見えない人たちの自由で気まぐれな判断ひとつで、生き死にが決まる状況にある。それがどういうことかわかりますか?想像できますか? あなたがある日街中で、あるいはSNSで、ガザに生きる人に対する寄付のお願いを見つけたなら、どうか通り過ぎないでください。たとえお金が入れられなくても、立ち止まってよく読んでください。支援はたしかに、根本的な解決にはなりません。それだけでは絶対に不十分です。しかし寄付を求める行為は、パレスチナにいる誰かの、生きるという強い意思です。巨大な暴力への、まっすぐな抵抗です。見ず知らずの人に、食べ物を買うお金をくださいとお願いしなければならない。人間の尊厳を深く傷つけられながらも、彼らは大切な人たちと大切な場所で生きていこうとしているのです。 幼い頃から爆撃の恐怖をなん度も経験し、様々な自由を奪われ、それでも夢を語ることのできるひとりのパレスチナ人を知っています。生きることに絶望しかないはずの状況で、それがどんなに尊いことか、わたしは友人である彼女のことを、心から尊敬しています。 パレスチナ人は、占領下で行われてきた様々な暴力を、暴力を使わない方法で訴えてきました。でも世界は変わらなかった。変わろうとできなかった。2023年の10月7日、彼らに武器をとらせたのは、暴力を選ばせたのは、彼らを無視してきた世界の側の人々、つまりわたしたちです。これ以上彼らの存在を、声を、意思を、無視しないでください。 原住民や台湾人、パレスチナが直面している問題は、原住民、台湾人、パレスチナ人にこそ決める権利があります。しかし、その決めるという行為をはばむ巨大な力があるのなら、わたしたちには、それを取り除こうとする責任があるはずです。かつての侵略者は、現在の無責任者になってはいけません。 台湾で声が上がっても、パレスチナで声が上がっても、わたしたちは聞き流してしまう。 知らないふりをしていたほうが楽だということは、翻って自分自身がうっすらとでも、責任を感じているということです。自分の感覚に正直になりませんか、とわたしは言いたいです。 人間がほかの人間を人間として扱わないこと。この世でもっとも乱暴で、残虐な暴力です。暴力を振るわれた側は、ずっと声を上げてきました。怒ってきました。わたしたちはどうしますか。何をしますか。人間らしさを取り戻すために、心と身体に、今日の記憶を刻んでください。もう無視しないために。もう忘れないために。 齊藤ゆずか

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